こんにちは。
今回も私の記録を読んでくださり、本当にありがとうございます。
前回の投稿でアジに開放された私のボディ。
消化することを拒絶していたボディが食べる喜びを思い出した訳ですが、
今回はそのアジとの古い思い出を辿ったお話です。
アジとの再会から1週間程で、突然その思い出の地を訪れることになったのです。
突然、何の当てもなく、愛知県から千葉県へ。
何の予約もせずに出発しました。
衝動的でした。
でも、そこに私の本質を思い出すための鍵がある事を確信していたんです。
だから、前夜の決断で翌朝に旅立ちました。
千葉県館山市。
私が物心ついた時からずっと、
『この世で一番好きなのは館山のおじいちゃんだ。』
と言っていた、大切な人が住んでいた場所です。
毎年、夏休みには新幹線に乗って会いに行って。
久しぶりに会うと必ず抱きしめてくれて、
帰るときは必ず私が号泣して、
ホームでお別れして電車が走り始めても暫く泣き続けた、
それくらい大好きだったおじいちゃんと過ごした場所。
そんな大切な場所も、おじいちゃんが引っ越して行ってから
15年は行っていませんでした。
とても久しぶりに降り立った瞬間。
街中が『おかえり!』と温かいエネルギーで迎えてくれたのが
分かりました。
身体が嬉しくて震えるような感覚。
全身全霊で私が喜んでいました。
館山も喜んでいました。
変な表現ですが、心からそう感じたんです。
おじいちゃんとよく行った海
タツノオトシゴを拾った浜(トップ画像の場所に信じられないけど落ちていたの)
よくお茶をした喫茶店
買い物にいつも行っていたスーパー
そしてたくさんの時間を過ごしたあのお家
思いつく限りの場所を訪れて、
その頃の自分の気持ちを思い出していきました。
私、ものすごく愛されていました!!!
信じられないくらい大きな愛をいつも注いで包んでくれていました。
今でもそれは感じます。
無償の愛って本当にあるんだなと。
惜しみない愛だったなと。
本当に感じたんです。
それと共に、
『私は誰にも愛されていない。
愛される価値なんてない。
愛された事もない。
そして、誰の事も本気で愛せない。』
と自分の受け取ったもの・与えたものを無かったことにして
生きてきた自分に気づいたんです。
当然、私は誰にも愛されない。
そんな風に思っていたんです。
何が当然なのか今ではさっぱり分からないのですが、
その時は本気で思っていました。
愛されていたという事、私の魂はずっと覚えていたようです。
実際にあった事をなかった事にはできないようです。
でも、私は自分の人生で辛いことがあった時に、
過去の愛溢れる思い出も無かったと思い込んでいたんです。
私が大好きだった母が作ったご飯を食べられなくなった時、
私は食べるのが好きだったことすら封印してしまったんです。
でも、愛と共に焼いていただいたアジ、愛で過ごした場所に
触れた瞬間、無かったことにしていたことが顔を見せ始めました。
胸の中の小さな私が、再び私に話しかけてくれるようになって、
一緒に愛を感じて、すごく安心して喜んでいる感覚。
最初は
『私が愛されないなんて嘘。
めちゃくちゃ愛されていたんだよー!
気づいてくれたの?』
と号泣していた内側の私。
もはや、おじいちゃんのものではないお家の前で
たくさん涙を流し、30分ほどするとその子も落ち着いてきて。
その後は言葉にできないふんわりしたエネルギーで満たされていました。
私が私を思い出すほんの序章の出来事でしたが、
激しく心に浸みた出来事なのでした。
シェアハウスに暮らして2週目でこの展開は早すぎる!!
これが、最速で自分に返ると決めた私の魂のスピード感でした。
そしてほぼ毎週涙を流す生活が始まったのでした。笑
今回の館山を訪れるアイデアもシェアハウスの家主さんの冴え冴えの
インスピレーションのおかげ。
これから先の変化も自分でとても楽しみに感じ始めました。